YouTubeを使ったテレビ番組の『引用』の合法性に関する一考察

 CNETで中島さんが、YouTubeと著作権法についてかなり大胆な発言をされております。
 
 要約すると「テレビ番組の一部をアップロードする行為は、一定限度まで著作権法上の『引用』として認められるべきではないか」というもの。

 意見の趣旨は理解しますが、現状のYouTubeの形式を見ると、それはかなり厳しいんじゃないでしょうか。主従の区分や出典表示を満たしていない以上、著作権法上の適法な引用として認められるケースはほとんどない(あってもほんの少数)だと思います。

 私は、基本的にはYouTubeナップスター等がかつて辿った道筋を再度辿り、消えていくものなのではないかと思っています。現状ではまだ訴訟等はフランスかどこかで起こされている程度ですが、直に世界の著作権者様からの刑事・民事の責任追及が次々になされることでしょう。

 ただ、YouTube が爆発的に流行した背景には、ユーザーのコンテンツ視聴のタイムシフトに関する要望(いつでも好きな時間に、好きな番組を見たい)に対して、既存の放送事業者等が十分に答えていない(あるいは答える気がない)ことがあるのかなと思います。マンションの録画サービスや海外への録画サービスに対する訴訟等を見ても、放送事業者等が同サービスを提供しないせいで、別の業者がそれを始めて問題になったケースが大半です。

 かなり前に、某大手テレビ局の著作権課の方の講演を聴いたことがあるのですが、その内容は「通信と放送の融合?うちらには損にしかならないから推進する気はないねー」というものでした。テレビ局の態度はそのときと基本的には何も変わっていないのでしょうね。だから、今後も同様の問題が手を変え品を変え次々に出てくることは今後も避けられそうにないと思います。

 法律が社会の常識に合わなくなってきた時には法律の方を変えるべき、という意見には大いに賛成です。目下の問題は、著作権の場合、①国民の意見のみでは変更のしようがない取り決め(ベルヌ条約等)が存在する、また、②経済的利害に直結する問題のため、制度の合理性如何にかかわらず利害関係人の譲歩が望みにくい(多数決主義をとる議会を通じたルートでの変更が困難)、③「著作権法侵害」=不法行為上の「権利侵害」=(侵害態様を見ることなく)即「違法」という不法行為制度上のオートマチズムが存在しユーザー(新規のサービス提供をした事業者)の反論を十分に斟酌する余地がない、という3つをどう変更していくか、ということにあります。

 上記のうち、①と②を変更することは実際には著しく困難でしょう。だとしたらせめて、③の解決方法の模索、すなわち不法行為法自体を「制度の合理性を問う場」にふさわしいものに変えていかなくてはいけないように感じます。現在の日本の法制度は司法消極主義ですが、かつての「決闘裁判」のように、裁判における利害当事者間のガチンコの論理の激突によってのみ合理的なルールが鼎立されるということを思い出す必要性があるんじゃないでしょうか。