「思いやり」ですか・・・。

http://it.nikkei.co.jp/internet/news/index.aspx?n=MMIT12000026112007

たくさんの方が書かれているみたいですが、「クリエイター」と「著作権者」とは区別して書いてほしいものですよね。意図的に混同させているのでは?と思ってしまいます。

それから、見せしめ目的に使うことが半ば明らかで、今までのネット上で行われている活動を阻害するおそれのある問題法案について反対し、従来の延長線上で解決できる限りやってみた方がいいと主張するのは「思いやり」に欠けることなんでしょうか。公衆送信権で戦った方がよほどユーザーにも理解される方策のように思うのですが・・。

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「インターネット先進ユーザーの会(MIAU) 設立発表会」のご案内

文化庁からパブコメが出される


文化庁から、10月16日付で著作権に関するパブコメが出されました。
(意見募集の締切は11月15日)

◆「文化審議会著作権分科会私的録音録画小委員会中間整理」に関する意見募集の実施について
http://search.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=Pcm1010&BID=185000284&OBJCD=100185&GROUP=

◆「文化審議会著作権分科会法制問題小委員会中間まとめ」に関する意見募集の実施について

http://search.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=Pcm1010&BID=185000283&OBJCD=100185&GROUP=
 
特に、前者のパブコメについては、違法サイトからのダウンロード行為について、私的利用のための複製(第30条)からの除外(いわゆる違法サイトからのダウンロード違法化)の方向性が打ち出されています。パブコメ等で反対が少なければ、ダウンロード違法化の波を阻止することは難しくなってしまうでしょう。インターネットの自由を守るために、今からパブコメの締切日までが一つの山場となります。


■「インターネット先進ユーザーの会(Movements for Internet Active Users : MIAU)」設立のご案内


そこで、有志により、違法サイトからのコンテンツダウンロード違法化への反対等を行う任意団体「インターネット先進ユーザーの会(Movements for Internet Active Users : MIAU)」が設立されることになりました(私も発起人の一人として参加させてもらってます。)。

つきましては、MIAUの設立記者会見を下記日程で行います。
こちらををご覧になられている方も参加することができますので、興味のある方はぜひご参加ください。

参加をご希望の方は、お手数ですが下記メールアドレスまでお名前・ご所属・ご連絡先メールアドレスをご連絡ください(締切は2007年10月17日(水)24時)です。
E-mail: info◎miau.jp (◎を@に変えてください)


MIAUの組織概要

(1) 名称 :Movements for Internet Active Users (MIAU)
  (和名「インターネット先進ユーザーの会」)
(2) 組織形態 :任意団体
(3) サイトURL :http://miau.jp/


MIAU 設立発表会概要


名称: Movements for Internet Active Users 設立発表会
日時: 2007年10月18日(木) 11:00〜12:00
場所: 映画専門大学院大学 201教室
    (〒157-0071 東京都渋谷区本町3-40-6)
   ※山手通り・方南通り「清水橋」交差点角
   ※都営地下鉄大江戸線「西新宿五丁目」駅A2出口
    左手に徒歩3分

内容:
1. 団体概要及び活動方針説明
  MIAU 発起人 津田大介(IT、音楽ジャーナリスト)
2. 講演:「インターネット時代の政治参加について」
  MIAU 発起人 白田秀彰(法政大学准教授)
3. 講演:「ネットユーザーとデジタルコンテンツ、未来への課題」
  MIAU 発起人 小寺信良(AV機器評論家、コラムニスト)
4. 質疑応答


■組織の目的(※MIAU Webサイトより抜粋)

私どもMIAUは、「情報技術を応用することで、現在よりも自由で幸福な社会を作れる」と考える人々の声をまとめ、既存の法や制度に依拠する人々に対して、新たな技術による自由がもたらす利益と幸福について説明するために設立されます。

当面の活動として、新たに作成されようとしている下記の制度について、インターネットやデジタル技術を活発に使っている人々(以下、アクティブユーザー)の意見を代弁いたします。

1. 違法サイトからのコンテンツダウンロード違法化への反対意見表明
2. コピーワンス及びダビング10技術の採用に対する反対意見表明
3. 著作権の保護期間延長に対する反対意見表明
4. 上記1〜3に関するインターネットユーザーの意見表明の支援

同時に、アクティブユーザーの皆様に対して、現在進められている制度の変更がもたらす影響についてわかりやすく解説を行い、インターネットユーザーの皆様がより充実した生活を営めるようにはどのような法制度システムが望ましいかについて啓蒙活動を行い、インターネットユーザーの皆様の利害を代表する組織として活動いたします。

当面は著作権に関する活動がメインとなりますが、インターネットでの経済活動や表現活動・コミュニケーションに関する問題等についても、インターネットユーザーの利害が損なわれる形で制度が変革されるということであれば、関わっていくことを予定しています。

YouTubeを使ったテレビ番組の『引用』の合法性に関する一考察

 CNETで中島さんが、YouTubeと著作権法についてかなり大胆な発言をされております。
 
 要約すると「テレビ番組の一部をアップロードする行為は、一定限度まで著作権法上の『引用』として認められるべきではないか」というもの。

 意見の趣旨は理解しますが、現状のYouTubeの形式を見ると、それはかなり厳しいんじゃないでしょうか。主従の区分や出典表示を満たしていない以上、著作権法上の適法な引用として認められるケースはほとんどない(あってもほんの少数)だと思います。

 私は、基本的にはYouTubeナップスター等がかつて辿った道筋を再度辿り、消えていくものなのではないかと思っています。現状ではまだ訴訟等はフランスかどこかで起こされている程度ですが、直に世界の著作権者様からの刑事・民事の責任追及が次々になされることでしょう。

 ただ、YouTube が爆発的に流行した背景には、ユーザーのコンテンツ視聴のタイムシフトに関する要望(いつでも好きな時間に、好きな番組を見たい)に対して、既存の放送事業者等が十分に答えていない(あるいは答える気がない)ことがあるのかなと思います。マンションの録画サービスや海外への録画サービスに対する訴訟等を見ても、放送事業者等が同サービスを提供しないせいで、別の業者がそれを始めて問題になったケースが大半です。

 かなり前に、某大手テレビ局の著作権課の方の講演を聴いたことがあるのですが、その内容は「通信と放送の融合?うちらには損にしかならないから推進する気はないねー」というものでした。テレビ局の態度はそのときと基本的には何も変わっていないのでしょうね。だから、今後も同様の問題が手を変え品を変え次々に出てくることは今後も避けられそうにないと思います。

 法律が社会の常識に合わなくなってきた時には法律の方を変えるべき、という意見には大いに賛成です。目下の問題は、著作権の場合、①国民の意見のみでは変更のしようがない取り決め(ベルヌ条約等)が存在する、また、②経済的利害に直結する問題のため、制度の合理性如何にかかわらず利害関係人の譲歩が望みにくい(多数決主義をとる議会を通じたルートでの変更が困難)、③「著作権法侵害」=不法行為上の「権利侵害」=(侵害態様を見ることなく)即「違法」という不法行為制度上のオートマチズムが存在しユーザー(新規のサービス提供をした事業者)の反論を十分に斟酌する余地がない、という3つをどう変更していくか、ということにあります。

 上記のうち、①と②を変更することは実際には著しく困難でしょう。だとしたらせめて、③の解決方法の模索、すなわち不法行為法自体を「制度の合理性を問う場」にふさわしいものに変えていかなくてはいけないように感じます。現在の日本の法制度は司法消極主義ですが、かつての「決闘裁判」のように、裁判における利害当事者間のガチンコの論理の激突によってのみ合理的なルールが鼎立されるということを思い出す必要性があるんじゃないでしょうか。

 

法は飲み込まれてしまうのか?

 「システム」は、法の本質的部分にもそろりと侵入を開始しています。現在導入が検討されている電子債権等がその代表例として挙げられるでしょう。電子債権取引に必要な仕組みが「システム」により作り上げられ、法がそれを事後的に追認するものにすぎなくなるとき、法(特に私法)が今まで守り続けてきた「ルールを決定するもの」としての座を維持し続けることができるのでしょうか。
 法文が「詳細は、別途に定める『システム運用マニュアル』に定めるものとする」という記載のみになる日は、実はそんなに遠い日のことではないのかもしれません。

「システム」と法の絶望的な関係

 修論を書いているときに感じ、仕事をして実感したことですが・・・。
 (主としてITを利用した)「システム」というのは、法と絶望的に相性が悪く、
 両者がかち合うと大抵は法が敗北するという結果を招くような気がします。

 法と「システム」は、どちらも基本的には「ある場合には(if・・・・・・)、こうなる(then・・・・)」というルールの積み重ねですが、法はあくまで日本語によって記述される以上、「ある場合には・・・」の部分について、複雑な条件設定ができないという制約があります。
 基本的には、法は「ある要件を満たす場合」か 「ある要件を満たさない場合」のYes/No判断しか行えず、その点で、「システム」によるルール構築に比べはるかに単純なものしか作れないという宿命にあります。
 
 次に、法は外部から与えられるもので、内部的な事情を斟酌して構築されるわけではないという点です。例えば、会社において業務の効率化を図るのに、法は「抵触することはないか」という消極面で問題になることはあっても、積極面で貢献できることは限られています。法とは「みんなが守るべきルール」であり、全ての法を順守したとしても、競争優位な状況を作り出せるわけではありません。差別化を図ることが難しい時代、企業が他社に比べ競争優位を保とうとするなら、どうしてもどこかで「チャレンジ」しなければならない事態が必ず生じてきます(コンプライアンス至上主義に私が空しさを感じるのは、こういう点です)。
 これに対し、「システム」は、基本的に内部事情に沿って構築されるものですから、(上手くいくかはともかく)、業務効率化という積極面をアピールすることができます。この違いが、上位者に対する説得力の差としてどうしても出てきてしまいます。

 第3点としては、「システムは事後的に変更できない」という点です。
 無論、法とて一度制定された以上簡単に変更したりは出来ないのですが、法には「解釈」という手段が残されています。これに対し、「システム」では、設計段階で構想に盛り込まれていないと 「●●法からすると問題だけど、正しくやろうとすると○○システムにデータを入力できない」という事態が発生します。この場合、システムを停止して組みなおせばよいのですが、常時稼動していることが想定されている基幹システムの場合、システム停止は万が一にもあってはならない事態ですから、「○○システムに入らない以上、●●法に基づく問題の検討は断念せざるを得ない」という結論になってしまいがちです。対社会では、法に優先するルールなどないはずですが、対内では「システム」が「法」に優先し、法が検討されなかったり極めて無理な解釈方法がとられることは頻繁に発生する事態なのです。