「システム」と法の絶望的な関係

 修論を書いているときに感じ、仕事をして実感したことですが・・・。
 (主としてITを利用した)「システム」というのは、法と絶望的に相性が悪く、
 両者がかち合うと大抵は法が敗北するという結果を招くような気がします。

 法と「システム」は、どちらも基本的には「ある場合には(if・・・・・・)、こうなる(then・・・・)」というルールの積み重ねですが、法はあくまで日本語によって記述される以上、「ある場合には・・・」の部分について、複雑な条件設定ができないという制約があります。
 基本的には、法は「ある要件を満たす場合」か 「ある要件を満たさない場合」のYes/No判断しか行えず、その点で、「システム」によるルール構築に比べはるかに単純なものしか作れないという宿命にあります。
 
 次に、法は外部から与えられるもので、内部的な事情を斟酌して構築されるわけではないという点です。例えば、会社において業務の効率化を図るのに、法は「抵触することはないか」という消極面で問題になることはあっても、積極面で貢献できることは限られています。法とは「みんなが守るべきルール」であり、全ての法を順守したとしても、競争優位な状況を作り出せるわけではありません。差別化を図ることが難しい時代、企業が他社に比べ競争優位を保とうとするなら、どうしてもどこかで「チャレンジ」しなければならない事態が必ず生じてきます(コンプライアンス至上主義に私が空しさを感じるのは、こういう点です)。
 これに対し、「システム」は、基本的に内部事情に沿って構築されるものですから、(上手くいくかはともかく)、業務効率化という積極面をアピールすることができます。この違いが、上位者に対する説得力の差としてどうしても出てきてしまいます。

 第3点としては、「システムは事後的に変更できない」という点です。
 無論、法とて一度制定された以上簡単に変更したりは出来ないのですが、法には「解釈」という手段が残されています。これに対し、「システム」では、設計段階で構想に盛り込まれていないと 「●●法からすると問題だけど、正しくやろうとすると○○システムにデータを入力できない」という事態が発生します。この場合、システムを停止して組みなおせばよいのですが、常時稼動していることが想定されている基幹システムの場合、システム停止は万が一にもあってはならない事態ですから、「○○システムに入らない以上、●●法に基づく問題の検討は断念せざるを得ない」という結論になってしまいがちです。対社会では、法に優先するルールなどないはずですが、対内では「システム」が「法」に優先し、法が検討されなかったり極めて無理な解釈方法がとられることは頻繁に発生する事態なのです。