法は飲み込まれてしまうのか?

 「システム」は、法の本質的部分にもそろりと侵入を開始しています。現在導入が検討されている電子債権等がその代表例として挙げられるでしょう。電子債権取引に必要な仕組みが「システム」により作り上げられ、法がそれを事後的に追認するものにすぎなくなるとき、法(特に私法)が今まで守り続けてきた「ルールを決定するもの」としての座を維持し続けることができるのでしょうか。
 法文が「詳細は、別途に定める『システム運用マニュアル』に定めるものとする」という記載のみになる日は、実はそんなに遠い日のことではないのかもしれません。